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猿倉人形芝居(さるくらにんぎょうしばい)増沢村並(ますざわむらなみ)

所在地:北秋田市増沢村並
開催場所:随所
開催日:随時
指定:県指定無形民俗文化財
カテゴリー:人形劇・歌舞伎
百宅(旧鳥海町)に発生したという近代民衆人形劇で、一般に猿倉人形芝居と呼ばれてきた。百宅(旧鳥海町)の池田与八(いけだよはち)が指人形を基礎にして面白い話の筋や劇を組み立てたもので、それに囃子をつけた人形劇に仕立て上げた。明治35年(1902年)頃から真坂藤吉(まさかとうきち)や丸田今朝造(まるたけさぞう)の弟子が新しい人形芝居を創造し、さらに三味線の名手でもあった勝若(かつわか)が興行的に発展させたことによって猿倉人形芝居を完成させたといわれている。矢島(旧矢島町)に生まれた吉田千代勝(よしだちよかつ)(旧姓名木村喜代三)は、昭和4年に真坂藤吉に弟子入りした。千代勝は木戸石(旧合川町)の杉渕ハル(すぎぶちはる)と結婚し、合川での猿倉人形芝居を起こすことになる。合川を拠点として興行を始めるとともに、海外公演もおこなうなど、この人形芝居の発展をさらに高めていった。千代勝は平成元年に亡くなるが、次男の栄治は千代勝の妻ハルとともに平成3年に復活をはかったのである。演目には三番叟を始め、女山賊鬼神のお松・岩見重太郎大蛇退治・貫鉄和尚傘踊りのほか、弥彦明神利生記・忍術自来也などもある。猿倉人形の操法は指人形挟み式、裾突っ込み式といわれ、一人で二体の人形を一度に操り、台詞も一人二役で声色を使い分けることが特徴で、これをすべて踏襲している。また、女山賊鬼神のお松などで見られる、娘が顔色を変えて鬼神になっていく七変化の操法は手妻式と呼ばれている早業でもある。協力元:猿倉人形芝居吉田千代勝一座映像提供元:北秋田市教育委員会

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